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3月のスペイン語ミサは10日午後4時から行われます

Missa de español empeza 4:00PM de 10 de marzo.

 


 

マリアとヨゼフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子をさがしあてた。(ルカ216    

                       2018年12月13日

                        カトリック大和教会

                                                            主任司祭 鈴木正夫

 

 

  キリスト教の信仰とはイエスがキリストであることを信じる信仰です。キリストはXristosと言うギリシャ語表現でヘブライ語ではメシアと表現されています。意味は「油を注がれている方」であり、当時では待ちわびている救世主と理解されています。イエスの誕生物語は、マタイ福音とルカ福音にあります。おそらくこの福音が書かれたのはイエスの死後50年以内頃に初期イエスの信奉者によって書かれたものと思われます。イエスの十字架の死があり、復活を体験し、イエスの派遣のお言葉もあり、このイエスの出来事をなんとかして人々に知らせなければならないと思い宣教が始まります。宣教する中でたくさんの人々から反対され、迫害されながらもイエスの復活の力を直接感じ、命をかけても惜しくはないという強い信仰の集団があったことがうかがえます。復活はイエスが天の父から送られた「神のひとり子」という信仰になりますから、「神様が人間となり、この世にお生まれになった」と言うことでもあります。

 イエスの誕生は、神の子の誕生ですので、復活の出来事のお話だけでなく、改めてイエスの誕生の物語が付け加えられることになったと思われます。マリアとヨゼフの旅のこと、3人の博士のこと、羊飼いの話しも歴史的な事実より、「神の子の誕生」の意味を表す物語として構成されたものと理解できます。イエスをキリストと認めることは当時だけでなく、今でも信じる人は多くはないのです。ユダヤ教の人々から否定され、迫害されたのはある意味、当然でしょう。唯一の神・全能の神が人間となること、あるいは神に子が居ること事態あり得ないからです。ギリシャのアテネでパウロがこの出来事を話したら、せせら笑われたことが使徒言行録17章にあります。あまり知的ではないからです。そういう意味では、宣教は知的証明ではなく、信仰告白なのです。

アメリカでの体験ですが、バークレイ大学のキャンパスでしたが、そこに乗り込んできて学生たちに説教し始めたどこかの勇ましい宣教師が居ました。ヒッピーまがいの学生と口論になり、その学生の質問に答えられず、からかわれていたのを思い出します。

 さて、クリスマス物語ですが、「神の子」の誕生を身近な人が気づかないと言うおはなしになっています。身ごもった「神の母マリア」をヨゼフがロバに乗せ、宿屋を探しても見つからず、馬小屋で密かに生まれるイエスのはなし。町外れにいる羊飼いも天使の知らせで、イエスを探しに行きます。「あなた方は布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方へのしるしである」。当時布にくるまって、飼い葉桶に寝ている赤ちゃんは普通であり、皆貧しかったのです。探し当てるのはとても困難なのです。では何が「しるし」でしょうか?神様がいるところ、それは特別なところを探してはいけませんよ。と言うことでもあります。マタイ福音書では3人の博士の話しがあります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と言ってヘロデ王を訪ねます。

王家に生まれることが常識だったのでしょう。占星術の学者たちは「星」をたよりに「幼子が母マリアと共におられた」のを探し当てたとあります。「星」に気づくことが大切です。

 

       

 

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