「だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」

                        (ヨハネ2023

                      2018412

                        カトリック大和教会

                        主任司祭 鈴木正夫

 

 

 御復活祭おめでとうございます。今年も大和教会で御復活の祝いを致しました。「光の祭儀」では新しい火をおこし、復活のろうそくにその火を灯け、暗闇の中を聖堂に入りました。明るいニュースのないこのような時代に、闇を照らすキリストの光はなんとありがたい希望のしるしでしょう!暗闇の隅々までキリストの光が行き渡ってほしいものです

「復活」と言う言葉は、十字架で亡くなられたイエス様が生き返ったと言うことに人々の目を向けさせるものかもしれませんが、むしろ大切なことは、イエス様の復活が私たちにどんな影響をあたえたかと言うことです。

 聖書を見て一番印象的なことは、復活のイエスと出会った弟子たちが大きく変わったと言うことでしょう。ユダヤ人を恐れて、「自分たちの居る家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ2019)弟子たちが、こともあろうに人々のたくさん集まるエルサレムの神殿まで出て行き宣教し始めるのです。(使徒言行録3章)あまりにも積極的に宣教するので、祭司長・神殿守衛長、サドカイ派の人々は、ペトロとヨハネを牢に入れ、次の日には議員・長老・律法学者の前で尋問されることになります。話はかみ合わず、「決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令された」(使徒言行録418)のです。これに対して、弟子たちは「神に従わないであなた方に従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。私たちは見たこと聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録41920)と大胆です。イエスの復活の姿を見たかどうかは、当事者の証言を信じるしかありませんが、はっきりしていることは、弟子たちが変わったと言うことだけはわかります。証言すればするほど不利な立場になる、あるいは身の危険となることがわかっていても恐れず証言し続け、弟子たちのほとんどが、殉教者となっています。つまり命がけのことをしています。命をかけても惜しくはない何かがそこにあったことは確かです。

 復活とは、人が変化すること、新しくなること、恐れから解放されて、行くべき方向に歩み始めることであると言うことが出来ます。

 ゆるしを告げる福音(良い便り)を告げること。これが復活の出来事の証言内容の中心にあります。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハネ202223)「自分たちのいる家の戸に鍵をかける」弟子たちにはそれなりの理由があります。ユダヤ人を恐れることもその一つでしょうが、イエスが捕らえられたとき、イエスのことを知らないと否定したり、イエスの弟子であることを否定したりした、ふがいない自分自身への嫌悪ではないだろうか。暗澹たる罪を犯していたのです。「戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中にたち【あなた方に平和があるように】と言われた。」(ヨハネ2026)一方的なイエスからのゆるしの宣言でした。人をもっとも人たらしめるものは、絶対者である神から赦され、認められ、肯定されていることではないだろうか。これほど力強い良い知らせ(福音)があることを人に告げること、これが復活の日にイエスから弟子たちに使命としてあたえられたことでした。赦されがたい罪の体験をした弟子が、今度はイエスのゆるしの恵みを人に伝える使命を受けたのです。このつみのゆるしがどれほど福音(よいたより)であるかを赦されたものが一番よく知っていたのではないだろうか。人を非難し、排斥し、無視し、軽んじ、利用し、受け入れ(難民)ることをしない今の世相。それは自分の家の戸に鍵をかけ、だれをも受け入れない暗い孤独の闇の世界のようなものです。このような現代であるがゆえにイエスの復活の出来事があることを告げ知らせ、証する使命が私たちにあります。

 

       

 

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