あなた方は「然り」は「然り」とし,「否」は「否」としなさい。

                                                                           (ヤコブ512

 

                        2018年6月15日

                        カトリック大和教会

                        主任司祭 鈴木正夫

 

 

 

今もっぱらの話題は,トランプ氏と金正恩氏との対談がどのようになるのかと言うことでしょう。どちらも何か突出した人柄のように思え,穏やかに対談できるものだろうかと言う懸念があります。国を代表する立場ですから,準備段階で,水面下で色々な交渉があったことでしょう。言葉の駆け引きの応酬だけでなく、より人道的面で実利のある話し合いになることを心から願っています。

片や日本に目を向けてみると,東アジアがこんな大事な事態に至っているのに,総理官邸では,森友・加計問題で防戦一方の立場の弱い姿しか見えて来ません。こんなことをやっていて良いのか。沢山の公文書の改竄や、文書処分など責任ある政府役人の動きがあり、本当のことを見せず、隠し事を思わせる情けない状況の国会になっています。

また技術の面では世界に誇れる日本の大手企業がデーターを改竄し、信用が一気に失墜しています。これでは世界に向けてしっかりと発言できる,力強い日本ではあり得ず、先が思いやられます。「技術だけは日本は確かだ」といつでも言ってもらえる信用が必要です。

今こそ「然り」は「然り」。「否」は「否」の聖書のお言葉に立ち返る必要があります。

そうでないのに「そうだ」と言って、嘘をつぃたり,相手を陥れるため,相手の正しさを認めず,どこまでも否定することは絶対にあってはならないことです。

 人の悪口、うわさ話。あること無いことを言いふらして回る有名なおしゃべり女がいた。ある日、村の神父のところに、ゆるしの秘跡に来た。罪の償いとして一匹分の鶏の毛を袋に詰め,村の丘の上からまき散らし,それが終わったらもう一度神父のところに来るように言われた。風の強い日だった。それを済ませた女が神父のところに戻ってきて報告した。神父は言った。「まき散らしたニワトリの毛をまた全部集めてくるように」女は怒っていった。「この風の中どこに飛んで行ったかわからない鳥の毛を集めろと言うのですか神父さん?」。神父。「あなたが一度流した人のうわさ、悪口は,もう取り返しのつかないものなのです。おわかりですか。」 ある先輩の神父さんがお説教でお話したのを思い出しています。

ツイッター、ラインのあるこの時代です。個人の発信、個人の映像が世界にまき散らせる時代に私たちは生きています。発信に要注意です。自分のことはともかく,はっきりとしない人の噂、確かめもしないで平気で言いふらす信徒の多いこと。回り回って本人に知らされ,本人が生きる希望さえ失うと言うことが現にあります。教会のみならず、無責任なおしゃべりによって世界中が傷つき、人と人との分裂を招き,だれも信頼できない空気を生み出しています。フェイク・フェイクと叫びながら,自分が一番フェイクであることがあります。つげぐち、悪口、根拠の無い人の悪評をばらまいて回ることを楽しみにしている,心の病んだ立派な(?)信徒が居ることも確かです。「神の言葉は諸刃の剣、髄と骨髄とを切り分ける」(ヘブライ412)無責任に言いふらす人は,人一倍厳しいお裁きを受けることでしょう。言ったもん勝ち。舌先三寸。舌戦。不用意な自分の発言が、どれだけ人を苦しめたか、さっぱりわかっていない。人が待っているのは、勇気づけ、力づける言葉,癒やす言葉です。

       

 

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